ナミキ商事株式会社 医薬品及び創薬化学品の専門商社

医薬品及び創薬化学品の専門商社

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Historysince1974

1974

ジェネリック医薬品時代の到来を予見し、
医薬品原料の商社、ナミキ商事設立。

当時、「分業」が主流の医薬品業界に原料・製剤・販売の橋渡し役として尽力。
高品質で安価な医薬品原料(輸入原料も含む)取り扱いのノウハウを
積み上げていく。
新宿松井ビルは古いマンションで、5~8階の空いている部屋を少しずつ
借り足していった。

代表取締役社長 並木透代表取締役社長 並木透

  • 厚生省薬務局長通知として
    GMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)が
    作成される。(GMPの行政指導)
  • ポール・フローリー
    高分子化学の理論、実験両面にわたる基礎研究によって
    ノーベル化学賞。
1977

国内原料メーカー数社と業務提携

良質な国産ジェネリック医薬品原料を安定供給。
メーカーと商社の業務提携は当時としては全く新しいスタイルだった。

厚生省が「医薬品副作用被害救済制度大綱」を公表。

1980

STEROCHIM社(イタリア)と独占契約

ジェネリック製剤開発用の原料としてステロイドの輸入開始

バイドール法が米国で制定される。
日本版バイドール法は1999年に
産業活力再生特別処置法第30条に定められる。

1982

MAYBRIDGE社(イギリス)と本格的なビジネス開始

MAYBRIDGE社からスクリーニング化合物を紹介される。
これがスクリーニング化合物との初めての出会いだった。

ジェネリック医薬品、冬の時代。
ジェネリック医薬品の国内シェアはなかなか広がらず、
数%程度にとどまっていた。

1985

スクリーニング化合物の取り扱い開始
ケミカルライブラリー輸入に着手

コンビケム(Combinatorial Chemistry)、HTS(High Throughput Screening)、
SBDD(Structure-Based Drug Design)など、新しい技術の台頭を予見し、
多数のスクリーニング化合物をまとめたケミカルライブラリー販売に着手。
日本におけるパイオニアとなった。欧米のサプライヤーとのやりとりから、
創薬の最新トレンドをいち早く把握し、時代の一歩先を見据えていた。
スクリーニング化合物を製薬会社や研究機関に持ち込み、
数多くの研究者と話をしながら、その可能性を探る日々が続いた。

創薬における技術革新前夜

1986

Farmabios社(イタリア)と総代理店契約

創薬の世界でも、市場の要求に応えるためには世の中に出回っている
化合物(オープンソース)を利用した効率的な開発が不可欠となった。
この流れの中で、スクリーニング化合物に興味を示す研究機関が増加。
ケミカルライブラリーがその真価を発揮する時代が近づいていたのだった。

創薬研究の活発化

1989

創薬のセカンド・ステージへの対応
コンビケム関連試薬取り扱い開始

IT技術の発展とともに創薬の世界も大きく進歩する流れが起きた。
専用ロボットで化合物をスクリーニングするという欧米のスタイルが日本でも主流に。
これにともない、スクリーニング化合物の取り扱いにも手ごたえをつかむ。

IT技術を駆使した創薬時代の幕開け

ネット社会の到来を予見し、業務のスピード化を図るため
Macintoshを社員ひとりに1台ずつ、10台ほど導入。
当時、パソコンは非常に高価なものだったが、
少数精鋭企業だからこそ実現した設備投資と
いえる。

ベルリンの壁崩壊(1989年)

1992

創薬化学品部創設
大阪市中央区道修町に大阪支店開設

西日本のお客様により充実したサービスを提供することを目指して、
名立たる製薬会社が軒を連ねる道修町で新たなスタートを切った。

顧客のアウトソーシング、依頼合成への対応開始

1995

インターネットを現場に導入

阪神大震災の際、海外からインターネット経由の迅速な報道が話題になり、
同年の秋にはインターネットを導入。
当時、日本のインターネット普及率は数%程度の時代だった。
ひとりがインターネットを使っていると他の人は使えなかったというのは、
ネット黎明期ならではのエピソード。こうして、海外企業とのやりとりも、
国際電話のほか、テレックス→ファックス→インターネット……と、
時代の流れとともに変遷してきた。

阪神大震災、地下鉄サリン事件(1995年)

1996

本社リニューアル

新宿松井ビルに借りていた12部屋のうちいくつかの壁を
取り払いリニューアル。業務効率も抜群にアップした。

2002

第1回ドラックディスカバリーセミナー開催

第1回ドラックディスカバリーセミナーの様子 グローバルな展開を目指していくには「TEAM JAPAN」で
創薬に取り組んでいくべきだという願いをこめ、
製薬会社間の壁を超えた情報交換の場をご提供。以後2年ごとに開催。

ホームページ開設 "困った時のナミキ商事®"

気軽で便利な化合物調査サービスを開始

秤量室設立

秤量サービス 秤量サービスの開始。
専用バイアル充填、バーコード管理など、きめ細かなサービスを実現

インターネット普及率の拡大

2003

ドラックディスカバリーニュース配信開始

お客様へのメール情報サービス開始

ヒトゲノム解読完了(2003年)

2004

ヒトゲノム完成版論文発表(2004年)
ゲノム創薬時代の幕開け

2005

スクリーニング化合物及び
Building Blocks在庫保有数世界一の

Enamine社(ウクライナ)と総代理店契約

ターゲットライブラリー・バーチャルライブラリーの拡充

Enamine社経営陣と当社営業本部長 横山徹Enamine社経営陣と当社営業本部長 横山徹

AnalytiCon社(ドイツ)と総代理店契約

化学合成では得られない
天然物ライブラリーの充実

大阪支店移転

現在の中央区伏見町へ

並木達也 代表取締役社長 就任

代表取締役社長 並木達也代表取締役社長 並木達也

代表取締役を始め役員を再編

2006

東京本社移転

東京本社 建成新宿ビル東京本社 建成新宿ビル

業務効率のさらなる改善へ向け、
本社を建成新宿ビルに移転。
ただし、新宿松井ビル退去の際には
取り払った壁をまた元に戻さなければならなかった。
莫大な現状回復費用がかかったのは
言うまでもない。

ChemCupid®開設

ChemCupid<sup>®</sup>(ケム・キューピッド)ChemCupid®(ケム・キューピッド)名称、キャラクターは社内公募で決定した

国内最大級の無料オンライン化合物データベースを開設。
これまで収集してきたデータを一本化して収載する目的だったが、
データ量があまりにも多かったため一筋縄では行かず、
操作性の高いデータベース構築に苦労した。
しかし、公開後は利用顧客増加につながった。

2007

CEREP(フランス)と総代理店契約

化合物評価サービスを開始

創薬ステージのますます多様化するニーズに対応。

2008

上海駐在所設立

急成長する中国市場への進出。上海と北京で視察を行い、
新事業にとってはビジネスの場として活気のある上海のほうが好都合だと判断。
上海駐在所の設立当初は文化の違いや言葉がわからず、
仕事面・生活面ともに苦労が多かった。

下村脩博士が緑色蛍光タンパク質の発見と
開発でノーベル化学賞受賞(2008年)

2009

上海奈美麒有限公司設立

上海奈美麒有限公司

信頼できる中国製原料・中間体を世界へ
供給するために、駐在所を現地法人化し、初の海外支店が誕生。
駐在所と同じ上海で設立し、駐在所は現地法人へ。取引先のつてを頼って中国三大大学のひとつである上海復旦大学近くに事務所を借りることができた。
大学には分析機器が充実しており、それを利用することもできるという
好条件つき。
好運なスタートを切った。

2010

世界に向け在庫化合物の販売を開始

世界に向け在庫化合物の販売を開始

  • 小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還
  • 鈴木章教授が「鈴木クロスカップリング反応」の開発でノーベル化学賞受賞
2011

新宿区優良企業表彰「経営大賞」受賞

新宿区優良企業表彰「経営大賞」受賞代表 並木達也と新宿区長 中山弘子氏(当時)

たえず挑戦的で革新力に満ちた経営が評価される。
表彰式の後、中山弘子区長(当時)を囲んで受賞企業の懇親会が開かれ、新宿の立地を活かした事業展開の方法など、活発な意見交換が行われた。

2012

東京都信用金庫協会主催 優良企業表彰 最優秀賞
優良企業表彰式の様子

東京都信用金庫協会主催 優良企業表彰 最優秀賞優良企業表彰式の様子

東京ドームホテルで開催された表彰式には約400名が参集し、51社の表彰企業を代表して当社社長・並木達也が謝辞を述べた。

山中伸弥教授がiPS細胞の開発でノーベル医学・生理学賞受賞

2014

ジェネリック医薬品数量シェア、初の50%超え

2015

ChemCupid Lite®開設

ChemCupid Lite®

供給率の高いBB化合物・合成用試薬の検索システムを開設。
会員登録不要、よりオープンで使いやすいデータベースの構築へ。

大村智教授が寄生虫による感染病に対する新しい治療法の発見でノーベル生理学・医学賞受賞

2016

大隅良典教授が「オートファジー」の仕組みの解明でノーベル生理学・医学賞受賞

2017

新ChemCupid®開設